ビジネス民宿やっ古(やっこ)お宿情報-三重県志摩市阿児町鵜方にある近鉄鵜方駅から徒歩5分。観光で志摩スペイン村やビジネスの拠点に最適な宿です。

Bob Marley & The Wailers in japan 1979

Bob Marley との出会いは、13歳時でした。 レゲエミュージック&ドレッドヘアーにすごい衝撃をうけたのを憶えています。 それから6年が経ち、1979年4月7日(土)俺が19歳時にBob Marleyが初来日し、渋谷公会堂で感動と興奮のライヴを観ました。 観客は、最初から最後まで総立ち!俺も踊り狂いレゲエに酔いました。 最初で最後のジャパンツアーでした。 その2年後1981年に脳腫瘍で亡くなったBob Marley(涙)でも一生の思い出になりました。

レゲエとは

1960年代に南米のジャマイカで始まったポピュラー音楽が「レゲエ」です。 独特のアクセントを持ち、ドラムやパーカッション、そしてギターやベースなどでレゲエリズムを作り出し、そこにホーンの仲間が加わり、さらにボーカルが言葉を加えます。 「レゲエ」という呼称のいわれには多くの説があるものの、ジャマイカ語のスラング「レゲレゲ」からきていると考えられています。 この「レゲレゲ」は「ボロ」とか「口げんか」を意味するとのこと。 レゲエの持つ混沌とした雰囲気に合っている面もありそうです。 レゲエは誕生当初はあくまで「音楽」として親しまれましたが、その年代が「エチオピア王・ハイレ・セラシエ1世のジャマイカ訪問」、「ジャマイカナショナリズムの高まり」、「ジャマイカの経済悪化と治安悪化」、「アメリカを中心とした公民権運動」、「ヒッピーの流行」などの「ジャマイカの文化的転機」と「世界的な社会不安」を背景に、徐々にメッセージ性を持つ音楽へと変貌していきました。
そして、そんな思想を持たせたレゲエを世界へと発信したのがレゲエの神様と呼ばれる「ボブ・マーリー」なのです。

ラスタファリ思想の伝道者? 「Bob Marley」

レゲエミュージシャンとして知られる「Bob Marley」ですが、彼は「音楽」だけでなく、「思想」面でも大きな影響を世界に与えました。 早くから音楽活動に目覚めていたBob Marleyは、「ラスタファリ思想」に出会い、人生にも音楽にも大きな影響を受けるようになります。 「ラスタファリ思想」とは、ジャマイカの労働・農民を中心に「アフリカ回帰」を願いエチオピア帝国の最後の皇帝「ハイレ・セラシエ1世」を神または神の化身として崇める宗教的な部分の強い「思想」だと定義されています。 ジャマイカには奴隷として連れてこられたアフリカ系住民が多く、近代に入っても唯一植民地化されていなかった「エチオピア」を黒人の故郷と考えるむきがあり、「黒人の王」による「黒人の解放」を願う人々は、「ハイレ・セラシエ1世」の誕生に沸き立ち、「ラスタファリ思想」は、急激にその信者を増やしました。 Bob Marleyもその一人。音楽の中にラスタファリ思想のメッセージを折りこみ、ラスタファリ思想を盛り上げました。 やがて、「ラスタ」は「レゲエ」や「ボブ・マーリー」自身のアイテムとなっていきました。

「ラスタファリ思想」のメッセージ!「解放・自由」・「ドレッド」・「ガンジャ」

レゲエはポピュラー音楽の一つとして誕生しましたが、その時節や有名アーティストからの影響を大きく受けた結果、「ラスタファリ思想」を届ける手段としての音楽へと変わっていきました。 当然、レゲエが受けたスタファリ思想の影響は、「解放」という思想を歌詞に盛り込むだけでなく、そのスタイルにも現れました。 その一つが「ラスタカラー」であり、緑・黄・赤のトリコロールは「レゲエカラー」としても知られています。 また、「ドレッドロックス」と呼ばれる髪型も、ラスタファリ思想の「たとえ髪の毛でさえも刃物をあててはいけない」という考えに従って放置した結果、絡まった毛が房状になったものです。 ただ、多くのレゲエミュージシャンや愛好家たちのドレッドロックスは美容師たちの職人技なのは言うまでもありません。 さらに、Bob Marleyのポートレートは必ずといってもいいほど、ガンジャを吸っている姿です。 これもまたラスタファリ思想の影響なのです。 アフリカでは、大麻は神聖な薬草であり、ラスタファリ思想では、大麻の吸引は精神をより安らかにする正当な行為だと考えられています。 彼らが「ガンジャ」と呼ぶ大麻の吸引は、彼らの思想の中では許可されているのではなく、推奨されているのです。

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